甕棺墓 - かめかんぼ

埋められた
青ノ山墓地に埋められていた壺。直径60〜80cm程で、墓地敷地内で現代の墓石とエリアを分ける形でいくつか点在している。さがっとの夢の中でもその壺は登場し、夢の中で友人は「死んだらそこで焼くんやで」と言っている。
史実の中の甕棺墓
壺に人を入れて埋葬するという風習は実際に世界各地で存在している。甕棺墓屈葬形態が取られ乳児用の墓として用いられるのが一般的であるが、日本では古くは縄文時代後期から見られ、弥生時代に全国的に広がっている。弥生時代の甕棺には銅鏡・銅剣等の副葬品が入れられたものや成人用の大きな甕棺も見られ、縄文時代のそれと比較すると故人の生前の地位での差別化や埋葬に対する思想に変化が見られる。また、共同墓地という形態が取られるようになったのも弥生時代からである。
また、土葬、甕棺関わらず見られ石を抱かせたまま埋葬されているものもあるが、甕棺含めこれらは死者の魂を遺体に留め生者に害をなさないようにするためのものという、埋葬や魂に対する一定の思想観があったとする説がある。これは縄文時代にはすでに死者の魂は恐れられており、魂の概念があったと考える事が出来る。
甕棺墓は弥生時代後期から次第に衰退し末期にはほとんど見られなくなり、仏教が浸透した中世以降は火葬が主流になるが、火葬場の整わない山間部、離島、庶民の間では木棺等に入れた土葬が続く。甕棺墓の風習自体も全く失われたわけでなく明治頃まで続いている。宇多津では古くから蛸壺漁に使う蛸壺作りが盛んであり、ここに木工技術が発達した中世以降も、土葬・屈葬の際は木棺は使われず甕棺が使われ続けた、と推測が立てられる。
甕棺の大きさは、成人用で高さ700mm、胴径550mm、底径150mm、開口部直径700mm 程度であるが、時代や地方で大きさ、形は一様には言えない。開口部直径を見ると青ノ山墓地にある壺もほぼ同サイズである。江戸期の甕棺の大きさから、大人一人でかなり窮屈な大きさであり、底が尖った形状から上下逆さまに入れたのではないか。
魂の密閉
甕棺墓を行う理由は既に書いた通り、死者の魂を遺体に留めておくためという説がある。また、石を抱えたまま入れるのも同様の理由が考えられている。
甕棺には「一個の甕に土器製等蓋をするもの(単棺)」、「二個の甕を開口部で上下合わせたカプセル状のもの(合口棺)」等あるが、蓋や合口部を粘土などで固定し密封したものも多くある。
屈葬形態が取られる理由に、「胎児の姿を模す事で“再生”を祈る」「死者の霊が生者に害をなさないため」等の考えがある。
火葬は仏教から入ってきた葬儀の形式で、故人の魂の成仏と冥福を願うものであるが、これは害を恐れて魂を遺体に留めようとする甕棺墓とは思想を真逆に取っている。また、屈葬の姿勢は胎児を模す事、甕棺墓が幼児用に用いられていた、という事は甕棺自体は胎児(遺体)を宿す子宮を意味するという事か。ここに呪術的な意味合いが隠されているように思える。
※ただし、仏教では成仏を願う火葬にも、世界を見れば「亡霊を焼き払う」という概念も少なくない。
 
参考:
Wikipedia - 土葬 -  屈葬 -  甕棺墓 -  弥生時代の墓制 -   - 
お墓の歴史
甕類の編年
藩主の甕棺
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